社会

地球は変わる、人も変わる 

ずっと前から気になっていたことの一つです。

誰かが何か事件を起こすと、必ずと言っていいほど、その人の近所や職場、昔の同級生などがインタビューを受け、「昔は、おとなしい子だったのに、信じられない」「優しい少年だったのに何でそんなことをしたのか分からない」とか言います。いつも同じことを聞いている気がします。過去どう見えたか、どんな風だったかなど訊いて何の役に立つのかなぁと思います。

人は変わります。私もそうです。今日の私は昨日の私でもないし、朝の私は夕方の私と違います。朝心がワクワクしていて、やる気満々のオーラ全開だったけれど、夕方は気が抜けてボーッとしているかもしれません。昨日はニコニコしていたかもしれないけど、今日は心配したり、怒っているかもしれません。まして、10年前の自分と今の自分が同じだとは考えられません。

人は毎日、毎時、毎分、変化しています。想い、考え方、感情、思想、性格だって変わるかもしれません。食べるものや服の好み、好きな人のタイプ、好きな動物や色、臭いだって変わるかもしれません。まして、社会に出て社会人として暮らせば様々な人と巡り会い、良い事、嫌な事、様々な体験を重ねていきます。

特に今は宇宙から降り注いでくるフォトンエネルギーの時代。フォトンの微細な光は人の過去/過去世のエネルギーに触れ、各人の負のエネルギー、カルマ、トラウマ的な記録を引っ張り出そうとします。自分の知らないエネルギーです。それが、突如、エモーションや感情となって吹き出す時代です。

そしてスマホの時代になり、人々はスマホを通して繋がるようになり、スマホの向こうの目に見えない集合意識に、自分のマインドを左右されやすい時代です。

そのため、人のメンタルや感情は非常に振れやすく、人を外見から識別することは大変難しい、複雑な時代になったように感じます。

ですから、何かあった時、事件を起こした人は、過去どんな人だったかを探るよりも、どうしてその人だったんだろう、時代の何が、社会の何が、その人をして、そういう事件を生むきっかけを与えたのだろう、最近、過去なかったような事件が沢山あるが、今の社会の進みは果たして正しいのだろうか、社会の何を改めればそういったことを防げるのだろう等、時代の変化に従った物の見方、探求の仕方が求められるではないかと思います。

一方、地球の磁極は移動し続け、つい先日アメリカ本土で体感温度マイナス45度、50度を記録したと言います。オーストラリアではほぼ雨の降らないような地域が大洪水に見舞われ、自動車が濁流に押し流されていました。

私が住んでいる地域では今年になり雨らしい雨があまりありません。近くの木曽川も水が少ないです。名古屋に行く用水の源が浅くなっているのに気づきました。先月、お隣の静岡県の一級河川、阿部川が干し上がりました。空気が乾燥して火災が心配されます。

地球の温暖化とかエル・ニーニョなどと、言葉で分かったような気がしていますが、私たちは地球について本当はほとんど知らないのではないかと思います。

国だけでなく地球をあげて、今起こりつつある地球の大変化に真剣に取り組まないと、地球から食べ物や水がなくなる気がします。何も準備しなくても、時は容赦なく過ぎていきます。

山のような課題を抱えたまま、2019年の春が来ようとしています。