アセンション

アセンションが求める進化とは

どこの国の人々か忘れましたが、日本人家庭が「未開発」の国の家族を招待して交流を行うという番組がありました。それを見ていた私は余分なことを感じてしまいました。

もてなす日本人ファミリーは彼らのためによくなさっているなあと本当に頭が下がりましたが、一つ気になったことがあります。

日本の機械化した文明を体験した家族、特に子供たちのことです。招待された家族は皆本当にピュアで、初めて目にするものの連続で、驚いたり、怖がったり、喜んだりと様々でした。

母国での彼らの生活は、自然との共存から成り立っています。自然と共に起き、自然の営み、恵みに従って生活し、自然と共に眠ります。彼らには自然を見て、聞いて、感じる、自然と共に生きるという素晴らしい能力があります。

そういった素晴らしい能力を、機械文明にあこがれることにより、失って欲しくないという気持ちになりました。

また、番組を見ている方の中には、未開発地域の人たちが日本のような文明国に接するのを、文明人としての優越感、優越感とまでいかなくても誇らしげに見ていた人はいなかったでしょうか。

昔学生だった時、日本は高度経済成長期で、私も物の発達イコール人の進化という風に考えていました。ですから、日本史を勉強していた時、昔の人がタイムスリップして現代に来たら、今の人は随分進化したとびっくりするだろうなと変な想像をめぐらせ、一人優越感に浸っていたことがあるのを思い出すからです。

アセンションは人の進化を求めます。物の進化イコール人の進化ではありません。人の中にあるスピリットの力を求めます。スピリットと物が共存した状態で文明が進化していくならば、人類のアセンションはグローバルレベルで道が開けたことでしょう。

しかし、現実はスピリットを横に置いた物至上主義的な文明が、更なる権力と富を求めて進んでいこうとしています。

未開発地域の住民と、現代文明の人では、どちらがアセンションに近いでしょうか?と光の存在に問うならば、「自然と共存する術を身につけている人類の方が進化していると言えるでしょう」と答えるかもしれません。なぜなら自然は法則だからです。

日本の「便利」な文明を知った「自然の王国」の若者たちが、これから人生の中で様々な選択があったとしても、今自分たちが手にしているものを忘れずに進んでほしいと願うのは、私だけでしょうか。