社会

体感する大切さを忘れないで

私は車の運転ができません。だからいつも公共の交通機関と歩きです。不便に思うことも多々ありますが、良いこともあります。

2、30分で歩けるところなら基本どこでも歩くので、歩くというプロセスの中で、車だと気づかないだろうなと思うことを体験することができます。

例えば道ばたに咲いている沢山の小さな花たち。ふと足を止めて見入ったり。色々な鳥たちの声や虫たちの動きに心をわくわくさせたり。個人宅のステキなお庭も楽しんじゃいます。この季節ですと、ツバメの巣やエサを求めているひなたちを見るのも楽しみの一つです。

夕方など木々のそばを通る時、葉のサワサワという葉擦れの音を皮膚で感じたりして、遠い記憶を呼び起こされたような感覚に誘われたりします。この風と葉のからみあう懐かしい響き、まだ都会にも残っているのだろうかと思ったりします。

さて、世の中は電子機器であふれかえっています。ほとんどの人が液晶画面の世界で動いています。液晶画面の中では、音もあるのでしょうが、映像と文字が中心です。意識の世界であって実体ではありません。画面の向こうで動く集合意識の世界です。そこでは鳥の声も葉のささやきもありません。雨も降らないし雪も降らない、寒くも暑くもないし、かゆくも痛くもない、味も香りもありません。

そんな皮膚感覚のない世界で、アメリカの大統領はTwitterという機能を利用して言いたい放題ですが、世界中がその発言に一喜一憂するという、マンガみたいなことが現実となっています。

誰も相手にしなければ、Twitterも機能しないのでしょうが、いかんせん、世界中の集合意識がそれに乗っかって、国際問題を作り出したりしています。見る人が多くなれば多いほど、ツイートする人はおもしろいのでしょう。ますますエスカレートします。

しかし最近は中国との経済戦争、中東戦争に関わるものまであり、そういったものが株価に影響したりと、まさにバーチャルと現実がミックスしてカオスです。

こういった痛みとかいった実感を伴わない世界でのやりとりが、経済、外交など、地球全体のバランスに影響する恐ろしさを感じます。

誰に責任があるのでしょうか?ツイートする人だけではないように思います。受け皿となっている集合意識の世界にこそ問題があるように感じます。

誰も電子機器に触れなければ、仮装現実は消えていき、そこには地球の現実が残ります。地球の音、臭い、暑さ、寒さ、風、雨、太陽が残ります。

私はTwitterの世界に触れたことはありませんが、どうして国の要職にあるような人々が、このような言いたい放題のソフトに惑わされるのか不思議でなりません。本当に自分を持っている人であれば、このようなことには動じることはないでしょう。

画面を見る、画面で考える、画面で操作する、実感のない世界です。自分にとって気に入らないものは簡単に排除しようと思います。従って嫌いなものは画面から排除する、画面で戦争をする。AI戦争の時代です。

人には体があります。人は体感することにより、体験を積んでいきます。自分の痛みにより人の痛みも分かるようになります。そのように、良いことも良くないことも体験し、学習していきます。体で感じる、これを忘れてしまえば、私たちは、地球で暮らしている実感がなくなり、自分の実在間すらあやふやになってしまうのではと思ったりします。

体感のない世界はどんな世界でしょうか。

ある議員が北方領土を戦争でというような発言をしたそうですが、それもこのような動きの中から出てきたのではないでしょうか。

それに拍車をかける AIの時代、AI兵器、人類はそれで本当に幸せになるのでしょうか。私たちには体があります。体を通して沢山のことを学ぶチャンスがあります。体は母なる地球によって養われています。

母なる地球は、そんな私たちを横目に、彼女のプロジェクトを一歩一歩実行していこうとしています。地球を踏みしめ、地球の現実を肌で感じ、地球と共に生きていきたいものと思います。