真実を見る

おかしなことが普通になる時代

やっとGO TO に歯止めがかかってきました。コロナウィルス拡散キャンペーンは見事に拡散の目的を果たし、停止に追い込まれているようです。

誰が見てもGO TO がここまで感染を拡大したことが明らかなのにも関わらず、ニュース解説者や医療関係者など、国の顔色をうかがっているのか、歯切れの悪い発言が多いように感じます。

目にはっきりと見えるものさえも見えないかのように振る舞う、まさにアメリカの動き、誰かがフェイクと言えば半数のアメリカ人が信じるのは、驚きを越えて言葉もありませんでした。

でもよく考えて見れば、福島の時もしかり。事実も風評という言葉で一掃され、チェルノブイリ以上とか言われた放射能もどこかへ消えていきました。その意味では日本の方が先輩かもしれません。

さて、最近の若い人はテレビを見ない、新聞を読まない人が多いそうですが、Go to の停止に関してインタビューを受けた若い人たちが以下のような発言をしていました。

遊びに行きたい、友達と飲みに行きたい、食べに行きたい、これから Go to を使おうと思っていなのに残念などの言葉に、若い人たちの意識に現状が反映していないことと、他人への思いやりや責任を感じてないのが大変気になりました。特に、今の若い人々は物とテクノロジーによって育てられてきたので、我慢ができない人が多いように感じます。

Go to キャンペーンは、最初からお金を持っている人、払える人、動ける人が楽しみ、ホテルや店舗などある程度豊かなところでないとその恩恵を受けられないという、社会的バランスに欠いたものでした。

なぜ今最も困っている人、失業、経営難にあえいでいる社会的弱者の救済にお金を回さないのか、沢山の問題を無視してのスタートでした。皆同じように税金を払っているのに、いざとなった時、同じように支援の恩恵を受けることができません。

でもgo to により感染が拡大した結果、その恩恵を受けられなかった個人や商店はさらにお客が減り苦しむことになる、それも忘れてはならないと思います。

そればかりでなく、Go to キャンペーンは、人々の物に対する依存を強化し、我慢できない若者たちに拍車をかけ、人の責任感、倫理観やモラル、責任感といったものを消失させるものであるように感じます。

こういった意図的に回す経済は自然ではありません。Go to にあやかれば、それはこういった理不尽さやネガティブなサイクルを認めることになり、いつかそのつけは自分や国民全体に回ってくる気がします。

一方、長い間厳しいロックダウンを強要されたヨーロッパ。例えばスペインでは、若者たちが広場などに沢山集まって飲んで騒ぐbotellin(ボテジン)という集まりがあります。若者たちが我慢できなくなってボテジンをあちこちで行った結果、コロナが再度拡大する原因の一つになりました。

でもどこから来て、どこへ行くか証明しなくては外へ出られない戦時中のような体制を強いられたのですから、気持ちは分からないことはありませんが、やはり他人に対する責任感はそこにないのは同じです。

最近、うつを発生している人が増えているようで、50歳くらいの男性が50m先にいる友達が怖くて扉の後ろに隠れている映像がありました。恐れは更なる恐れを呼び、孤独になれば人は弱くなり免疫を下がります。

1987年ハーモニックコンバージェンスがありました。この年を境に人類は新しい光の文明へとシフトするための道を歩むはずでした。当時、ミレニアムとか言われて、瞑想やヨガなど、世界中で霊性の目覚めに向けて自分のために何かをする人が増えました。啓蒙書も沢山発行され読む人も沢山いました。

そして、今2020年12月。人類のどこに、私たちの日常のどこに霊性が感じられるでしょうか。光の存在によれば、現在多くの人が4.7次元で振動しているはずでした。しかし、人類の大半は、3.1、 3.2、 3.3次元で振動しているようです。

それはミレニアムを目指していた頃より、ずっと次元、人の放つエネルギーが下がったことを意味します。私たちは自らの人間性、人としての団結心、愛、優しさ、許し、寛容、目覚め、高まりといった目に見えない価値にふたをしてしまったからです。

コロナウィルスは人類全体に対するお試しです。急いでワクチンを開発してもこのお試しを乗り越えることができるようには思えません。

今大切なのは人々がバラバラになるのではなく、結束することです。互いを思いやりながら、なすべき予防対策を取り、一緒に乗り越えていく強い思いを持ち合うことです。前にも触れましたが、人々が自分の内側のエネルギーを一つにして作り出す生命電磁場(エネルギー)には、ウィルスは弱いのです。

人類も各個人も、物の見方、考え方、生き方を変えるように求められているのですが、どれだけの人がそのことに気づき、変えようと努力するでしょうか。そして変わらなければ何が私たちを待っているのでしょうか。