日常

おいしいおにぎり

最近うちの娘が、自分で作ったおにぎりもおいしくなったと言います。自分の波動が変わったからかなぁとも言います。

昔から自分で作ったおにぎりはまずい、だから私に作ってとよく言ったものです。使う材料はのりと梅干し、お塩だけですから、誰が握っても同じようなものですが、違うようです。彼女曰く、全然違うのだそうです。

よく遊びに出かける家の叔母が作るおにぎりもおいしいけど、私が作るのとは違ったおいしさだそうです。確かに意識すれば、自分のおにぎりの味、人から作ってもらったおにぎりの味、同じような材料でもそれぞれ違うものですネ。

舌の敏感な人がいます。行きつけの店にいき、いつものようにお酒とつまみを頼むのですが、「マスター、今日は何かあったんと違う?」とか、「マスター、今日は機嫌がいいね」などと、お酒やつまみの味で作ってくれた人の状態が分かるのだそうです。

よく心をこめて作ったものが一番おいしいとか言いますが、これは本当だと思います。人の体を滋養する食べ物には、それを作る人の波動が反映されます。人のポジティブな波動、人の持つ愛の波動、調和した波動、健全な思考の波動、喜びの波動、こういった良いエネルギーで作られた食べ物は元気がもらえそうです。

ここ最近、世の中では食育について話されることがあまりないように思います。電子機器や電子機器を使った教育の方に意識が向き、子供たちの心や体を滋養する最も肝心な食卓について、意識があまり向いていないようです。

行動に問題ある子供たちのほとんどは、家で作った暖かい食べ物を家族と一緒に食すという習慣がないそうです。

学校の給食でも最近は給食場でおばさんが料理を作るのではないそうですね。一昔前は、給食場のおばさんたちが校内で遊び勉強する子供たちの健康を考えて心をこめて作っていますという声が聞こえてきましたが、今は違うようです。

食の自動販売機、加工食品、冷凍食品、食のAI化、どれをとっても人の心のエネルギーのないものです。

食一つ見ても、私たちは人としての大切なエネルギー交流のチャンスをどんどん失っているように思います。最近、何を言っても響かない人が増えてきたと言います。目の前で苦しんでいる人がいても悲しんでいる人がいても、何も感じないのです。

「便利」と引き替えに失うものの大きさに気づく時のように思います。