日常

幸せのパラレルワールド

有名人がいます。人は有名人にあこがれます。有名になって人の注目を浴びたいと思う人も沢山いると思います。顔がきれいでスタイルがよくファッション性も知性もあって皆のあこがれの的でありたいと願う人も少なくないでしょう。

このように自分という存在を、他人に認めてもらいたい、評価してほしい、他人の意識を通して自分の値打ちを高めたいという願望は誰でも少なからずあるのではと思います。たとえそのような願望はなくても、大半の人は人の目を意識して生きているのではないかと思います。

でも、そのように自分を見つめる人の目や意識は、どこまで自分を知っているのでしょうか。自分という人間の顔やスタイル、職業は知ることはできても、自分の中身や心を知りません。誰も自分を共有することはできないし、自分も他人を共有することはできません。誰も自分の本当の幸せを知ることはできないし、自分も他人の本当の心を共有することはできません。

そのように自分の存在を人の意識によって左右されることに対して、私は小さな頃から疑問を持っていました。人の意識の中の私など本当の私ではない、私は私の意識の中にしか住んでいないと幼いながらも感じていました。

さて、「僕はかっこいい、ハンサムだし、いつも女の子の視線を感じるんだ」と公言し、ハッピーな顔をしている人がいました。自分が思うほどでもないような気がするけどなぁと内心苦笑しつつ、純粋に自分を肯定している彼を見て、何故か分からないけど、急に楽しくなってきました。幸せなエネルギーを発信していると感じたからです。

あっ、「信じる者は救われる」っていうルールがこんなところにも働いているとふと思いました。

人は皆自分の内側の世界を磨くために、様々な顔、体という形の中に入り、形の世界に生まれ、育ち、生きて、形の世界に別れを告げます。

最近、本当の幸せとは他人の評価でなく、自分がどのように自分を評価できるかにより得られるものではないかと思うことがよくあります。

信じる者は救われる。鏡の中に映る自分がどんな形でも、その中にあるもの、自分たるゆえんのもの、自分の好きなこと、自分ができること、自分の中に眠っている宝を見つけ出し、それをポジティブに信じ、幸せを感じながら、毎日を生きていきたい ―

このように思わせてくれたハッピーワールドに住んでいる「幸せ君」に感謝です。よく考えれば、これも幸せなパラレルワールドに住むということかもしれませんね。