日常

日本はどこに行きたいのでしょう?

最近、無差別事件が世界中で多発しています。相手は誰でもよかった、とにかくむしゃくしゃして鬱憤を晴らしたかった、他人を巻き込んで自分も死にたかったというような、大変身勝手で無責任な犯罪が増えています。

しかし、それは社会一般だけでなく、自分の行為に責任を感じない、持たない姿勢が、本来国民の手本となるはずの国や各界のトップの人たちの生き様にも、いやというほど見せつけられる毎日です。

アナログの時代からデジタルの時代に入り、有線電話から無線電話、スマホへと変化していく中、人々の意識が画面の向こうの世界、バーチャルリアリティの世界に向かうことが急速に多くなりました。

その中で、良いこともあるのでしょうが、バーチャルリアリティは現実感を失わせ、痛みを感じない意識へと導いていくようです。バーチャルリアリティの世界では全てが便利で簡単です。自分の好奇心や満足を満たすことを、指一つの動きでできます。誰もブレーキをかける人はいません。その結果何が起こっているのでしょうか。

周りへの無関心です。自分が生きている現実世界に対する意識が薄れていきます。そうなればどうなるでしょう?

権力やお金を持つ人々は、やりたい放題できるようになります。誰もブレーキをかけないからです。政治もそうです。政治家が嘘をついたら、民主主義も終わりです。しかし、嘘が大手を振って国民の前を通り過ぎていきます。沢山の嘘が次から次へと通り過ぎていきます。

そのように、私たちが生きている民主主義が根っこから崩れようとしていても、多くの人々は興味がありません。感じなくなっているのかもしれません。そのため、一国の根幹を揺るがすに値する森友学園問題も、加計園学園問題も、サッカーのワールドカップの盛り上がりの中に、暗い霧の中へと消えて行きます。

人が現実に関心がなくなれば、自分の行為に対する責任を持つ力やコントロールする力、意識や感情も淡くなります。そのため何が起こるでしょうか。

無差別事件と犯罪の低年齢化です。

日本でも世界でもシンクロして17歳事件が連発したのはまだ記憶に新しいと思います。それから10年も経ないうちに、犯罪は今や14歳、13歳へと年齢がぐんと下がってきました。

日本でも多くの親が、子供がスマホの世界にはまるのは良いことではないと思っていることでしょう。しかし、多くの親は子供からスマホを取り上げる勇気がないのも現実です。スマホがないと不憫だろう、と思ってしまうのです。(現実には、不憫というより、スマホを取り上げたら気が狂ったようになる子供もいるでしょう。)しかし、親はスマホがなくても幸せな子供時代、青春を過ごすことができたのです。

日本の教育現場でもスマホを導入するところが急増してきたと聞きます。反面、教育現場からスマホを制限しようとする勇気ある動きも少しずつあるようです。

日本という国は、昔から大企業に土台が置かれています。企業政治と言われています。政治が企業を後押しします。ですから、いくら弊害があろうと、大手企業がしていることに政治がブレーキをかけるということは、まず考えられない、考えないというのが常識になっているようです。

しかし、ヨーロッパはそうはいきません。随分前から、ネット依存症やネットの弊害に取り組むようになり、子供や若者の矯正、治療などが進んでいます。最近はネット自体にも規制をかけるようになってきたようです。

フランスのマクロン首相は、子供たちが授業に集中できるように、授業にスマホを持ち込むのを禁止するよう呼びかけ、同意する学校も増えているとのことです。

また、ネット犯罪に巻き込まれないために、その責任は家族にあるとした上で、両親の子供たちに対する義務として、悪影響をもたらすようなアプリをカットしたり、バーチャルリアリティから子供たちの意識を現実世界に取り戻すことが重要だとはっきり言っています。

日本では(島国であることを良いことに?)、消費税を増やすとか、国にとって都合の良いところだけヨーロッパの例を持ってきますが、社会福祉とかネットのコントロールなど国民にとって利益になるものには、他国をお手本にしようとしません。

何か国民にとって悪いことがあるなら国が規制するはずだ、禁止するだろうと期待することはできない時代です。

1970年、1980年代、日本人が汗かいて一生懸命働き日本経済を急速に成長させた時代がありました。その時、日本人は「エコノミックアニマル」と言われました。でも当時の日本人は、今よりもずっと希望に満ちていて輝いていたように記憶しています。日本から素晴らしい技術が生まれたのも、日本製品のパーフェクトなイメージを創造したのもその頃の日本人だと思います。

今の日本は、お金になれば何しても良いという風に動いています。お金になるなら、日本を賭博国家にしても良いと思っています。今の日本をエコノミックアニマルと呼ぶ人はいません。

でも人がお金に魂を売り渡せば、アニマルではなくて「獣」と化していきます。今の日本は何を目指しているのでしょうか。何になりたいのでしょうか。

私たち一人一人、ここで立ち止まり、このような進みを本当に求めているのだろうか、真剣に考えることが必要ではないのでしょうか。