宇宙、地球、自然について

自然の変化と人の無関心 PART2

  誰にも降り注いでいる気持ちの良いエネルギー

さて、都会に住んでいると気づきにくいかもしれませんが、郊外や自然の中にいると、ここ数年、特にここ何ヶ月か地球のエネルギーが本当に気持ちが良いのです。細かくてとても柔らかな光粒子が地上に降り注いでいるのを実感します。繊細だと思われる方何人かに質問しましたが、同じような答えが返ってきました。

最近、木曽川に沿って歩くのが私の朝の日課です。途中でライン大橋があるのですが、心地良い風が通り抜ける中でそこから見渡す景色は、とても調和が取れていて日常を忘れさせてくれます。

そこを往復するのですが、先日、川の中を覗いていてふと足を止めました。川の流れの表面が風にあおられてさざ波が立つ中、朝の鮮烈な太陽の光が反射しているのですが、そのきらびやかさが過去見たものと違う感じがしたのです。

波の中に銀河系が表現されていると言うか、水の中にホワイトゴールド、ゴールドの光を強烈に放っている無数の星を見るというか。びっくりして見入っているとホワイトゴールドやゴールドの中に、ブルーやバイオレットといった光も見えてくるのです。光のダンスといった感じです。

ヒーリングをする時に、場合によっては液体状の光を視覚化することがあるのですが、その光を見せてもらっているような感覚になりました。その発見以来、朝の散歩に楽しみが増えました。

ここ数年、ふと意識した時に感じる空気の優しさも、川の中に映った太陽の強烈なきらめきの光も、フォトンの働きかなぁと思ったりしています。

 高原にいるような気分にさせてくれる6月

さて、今年は、梅雨入り宣言がなされた6月半ばになった今日も、中々半袖を着ようという気持ちが沸いてきません。温度は26度、27度とかあっても長袖で気持ち良いのです。しかも朝夕が結構涼しく、ヒンヤリと感じることもあります。ちょっとした高原気分だと喜んでいます。

私は暑いのも寒いのも苦手というやっかいな人間で、25度超えると暑い暑いといってすぐ半袖を着るのですが、ここのところずっと起きると室内は25度あるのに、何か涼しくて、今日も長袖でいいやという具合です。

そんなわけで6月15日の今日も長袖を着ています。これも私の長~い?人生で初めての体験のように思います。

また、道路を歩いていて、路上の温度計をよく見上げますが、体感温度と実際の温度が異なることが増えています。

「こんなに気持ちの良い6月はないよね」と言うと、パートナーは「それは地球のエネルギーのバランスが崩れているからだよ」とバッサリ。「見てごらんよ。スペインでは34度、36度、42度、すごいよ」

ま、そのように地球は、良くも悪くも変化の真っ只中にあります。

自然を見ていると、人類が行っていることがホログラムのように見えてきます。もっと自然に目を向け、地球の変化、現実の真実に向き合うならば、本当に心血を注がなければならない重要なテーマがそこにあるように感じます。

私たちの命の舞台が変化しようとしているのに、このままで良いはずがありません。 

 補足 

ベネズエラと言えば、世界有数の石油輸出国で大変リッチな国だったように記憶しています。それが政治の腐敗、政治的権力に固執する一人の人間のエゴにより、国から日常生活品はもとより食べ物が姿を消し、今多くの人が飢えています。

カリガリの体をしている子供たちがいます。亡くなっていく人たちがいます。都会に来てゴミをあさって飢えをしのいでいる家族がいます。アフリカのソマリアやエチオピアのような状況が、富裕国であるはずのベネズエラで起こっているのです。

地球の変化を無視したり、政治の腐敗に無関心であり続けたらどうなるでしょうか。今日ベネズエラで起こっていることが、明日の我が国、我が身にならないように祈るばかりです。