日常

黄色いベスト運動は他国事?PART2

アメリカ、日本、ヨーロッパ諸国、中国、韓国など、政府や大企業が推進してきたグローバル経済は、日々人々の間の格差を拡大し、不公平社会を強化してきました。

日本も法人税の減税を始め、毎年高くなる社会保険や年金徴収料、食料品や学費の高騰、労働法の改正による非正規社員の急増など、中産階級が減り、多くの人が非正規雇者となり、日本でも貧困層、貯金を持たない個人や世帯がどんどん増えていると聞きます。

日本の子供の6人に1人が貧困家庭に属し、給食費も払えない、家庭で食事もままならないと話題になってから久しいのですが、最近はそれさえも話題にのぼりません。街に出ても年末助け合い運動の声も聞かれなくなったような気がします。

東北、熊本、広島、北海道など、立て続く地震や豪雨などによる被災者は本当に救済されて安らなか日々を送られているのでしょうか。

最近、外国人雇用拡大法が与党側による定例の強行採決により可決されました。ブラック企業が蔓延し、過労で倒れる日本人、鬱になる人々の増加にも歯止めがかかりません。日本で働いていた外国人の自殺や殺人、病死の数には驚きました。

このような状況の中で、果たして外国人に対する人権や雇用条件を守る法律が作られるのでしょうか?

外国人であれ、企業の利益のために人を乱用するための抜け穴が許されたものが法制化すれば、そのつけはいずれ私たち国民にも帰ってきます。「働きたくなければやめてもいいんだよ、これでも(この条件でも)外人さんが喜んでやってくれるから」と。

トランプ大統領が「日本が戦闘機を買ってくれるので感謝する」と言いました。それに対してニコニコしている首相がいました。それに対して誰も何も感じないのでしょうか。

黄色いベスト運動に参加した若い女性が言いました。「この国のあり方を目にして、私はフランス人であることが恥ずかしいと」

マクロン大統領は経済学者だったと聞きます。企業を立て直すため、徹底的に人材削減を行ったゴーン日産元社長、大企業に基盤を持つ経済中心の日本政権、共通するものを感じます。

国もしくは企業が中心で個人が置き去りにされていることです。「収益を増やすためなら何をしてもかまわない」この精神が根底に流れているように感じます。

フランスでは人々が立ち上がりました。それに対して日本のあるコメンテータは、「政府がこんなデモ隊の言うこと聞いて政策(増税)をやめるなんて信じられない!」と。

日本では来年消費税があがります。5%還元、2%還元だの、特に小さな事業主さんに大きなストレスを与えています。いずれにせよ、それは一時的なもので、それにより生活がさらに厳しくなる人は確実に増えることでしょう。

今でも暖房を切り詰めたり、3食を2食、1食と減らしてみえる方々もいると聞きます。切り詰めるにも限界があります。日本国憲法に「国民は文化的な最低限の生活を営む権利がある」と謳ってあるのを思い出しました。

アラスカでも先日大きな地震がありました。2000年に入ってから環太平洋火山帯が活発に動いています。海でも陸でも底では繋がっています。日本でも各地よく揺れています。

南九州から静岡、福島あたりの太平洋沿岸の海の底の動き、内陸の動きも気になります。何かとても大きなことがあった時、この国はどう動くのでしょう?東北大震災当時機能していた、放射能拡散の動きを知らせるSPEEDIは国の政策により半ば強制的に削除されたと聞きました。

これほどの地震国でありながら、再び原発事故に繋がるような災害が来たら、世界の人はどう思うのでしょう?それでも私たち庶民は、「仕方ない」「めんどくさい」「興味ない」「自分には関係ない」と進んでいくのでしょうか。

「日本人であることが恥ずかしい」とだけはなってほしくないものです。

地球の動き、自然の動きと人類の生き方、国の選択はますますバランスを失っていくように感じます。2019年はもうすぐです。私たちの現実はとても不確かなものの土台にのっかっているような気がします。

フランスでは人々が立ち上がり、政府がちょっぴり歩み寄りました。それでも黄色いベスト運動の人は言います。「ここで諦めてしまったら終わりだよ。」と。