日常

皆で持ちたい、自然のエネルギーを守る意識

先日地元、犬山で花火大会がありました。毎年、限られた数百メートルの木曽川沿いにあますところなくぎっしりとお店が並びます。花火は夜の50分間ですが、今年も夕方から夜にかけて20数万人の人が集まりました。

人々が集い楽しむ、街もそれにより潤う、それ自体は大変良いことのように思われるのですが、自然界にとってそうはいかないようです。

祭り明けの翌日、木曽川沿いは、昨日の集まりは「夢か幻か」と錯覚するほど、きれいに掃除が行き届いていました。しかし、エネルギーは一変しており、大変重苦しいもので、すぐ引き上げたくなりました。

人々が置きみやげにしていったエネルギーは、太陽と自然界が協力してクリーニングするのですが、狭いところにこれほど一気に人々が押し寄せた後では、クリーニングするにも時間がかかるのでしょう。雨の助けもありようやく6日目に、お祭り前と大体同じレベルのエネルギーを取り戻すことができた感じでした。

その間、犬山の自然界もさぞかし大変だっただろうと思います。川沿いには桜並木がありますが、今年になって枯れてしまったものもあります。

自然界の力を弱めるのは環境汚染だけではありません。人々の想いのエネルギーも大きな力があります。自然を守り力を与えているデヴァ(精霊)たちも人混みが嫌いです。優しいエネルギーを好みます。

最近、スペイン政府が北西部にある国立公園一帯を世界遺産にするための申請を行ったということですが、それと同時に、政府や自治体も協力し、シエス諸島などの美しい自然を守るために、一日の観光客を規制するなど観光規制が敷かれたようです。

これは一例ですが、海外では自然を守る意識が高い国が多いようです。日本のように、世界遺産イコール商業活動(金儲け)という風にいかないようです。予測される商業活動と自然保護のバランスを最初から考えています。

日本でも、問題が沢山起こってから、富士山の登山者数の制限など規制がかかるようになりました。その一方、富士山ろくの自殺の名所とされていた青木ヶ原樹海が観光ブームとなっているようですが、そこにどんなエネルギーがあるのが知っているのでしょうか。あまりにも霊的世界を無視しているように感じます。お金になればなんでもいいよという生き方はいつまで続くのでしょうか。

日本列島は世界の自然のミニチュア版だと言われています。日本の自然をこよなく愛する外国人は少なくありません。でも私たち日本人はその自然のありがたみに慣れてしまったせいか、自然の声を聞こうとしません。

しばしば、公園の整備が行われています。その時植木の植え込みもなされたりするのですが、その後のフォローがありません。一斉に植えられた若い植木の苗は、自然に雨が降らない限り、水不足で枯れてしまう光景をあちらこちらで目にします。切ない気持ちになります。

枯らすためにどうして植木を植えるのだろうと思います。最初から面倒見切れないのが分かっているのなら、中途半端に予算を使わなければならない理由はどこにあるのだろうとも思ったりします。

地球はこれから大きく変わろうとしています。これから4、5年は、変化に続く変化が来ると言っています。

地球に感謝すると言いますが、間近な自然の声を聞き、自然の命を守るために、どんな小さなことでも一人一人が実践し、皆で愛のエネルギー、ポジティブなエネルギーを自然に届けることができたらと思います。