社会

現実感を奪うスマホの世界と鈍る危機意識

ごく最近のことです。ある外国人が語ってくれたことです。金曜日の午後、帰宅ラッシュの時、駅で電車を待っていた時のことです。

いつもの通り、ホームでは沢山の人が行き先によって違ったカラーのラインに従って長い行列を作っていました。大半の人がうつむいてスマホを見ています。

その時、ワァーッと言う女性の悲鳴が聞こえました。思わず悲鳴の聞こえた方に目をやると、オフィス勤めと思われる女性が片足を電車とホームの中につっ込み、抜けなくて悲鳴を上げながら等助けを求めていました。

少し離れた違ったラインに並んでいた彼は、てっきり目の前の人たちがすぐ助けると思っていたのですが、誰も手を差し伸べようとしていません。びっくりし、駅員の姿を目で追うと、遠くから見てはいるのですが、他事に気を取られているようで、すぐ飛んでくる気配がありません。

そこは都会の中心の駅ですから、矢継ぎ早に電車が出入りしています。女性は助けを求め続けています。周りの人が助けるだろうと思っていた彼は「エッ?!嘘だろう?!」とびっくりして飛び出ていき、女性をわき腹から抱えると、スポッと抜けたので、そのまま電車に乗せました。

そのとたんドアがしまり、呆然としていた女性はしまった扉の向こうから頭を下げていたそうです。

去年の終わり頃、もう一つ似たようなケースを耳にしました。踏切で自転車を押していたおばあさんが、踏切の遮断機が降りて線路の真ん中に取り残されていたそうです。その時、歩行者が数人、車が数台、向こう側にもこちら側にも並んでいたにも関わらず、誰も助けようとする気配がありませんでした。あわてて車から出て行ったのが、このエピソードを語って下さった80歳近いご婦人です。

彼女は、踏切内で立ち往生しているご婦人に、自転車を手放して線路から出るように叫んだのですが、体が硬直しているようで全く動きません。踏切の音が鳴り続ける中、彼女は踏切の中に入り、おばあさんごと自転車を体中の力で押して何とか間に合って、そこから抜け出したようです。

「おばあさんがおばあさんを助けたのよ!」とご本人は真剣な表情で語っていました。

さて、最後は私自身が体験したものです。京都駅からメイン通りを歩いていた時のことです。1メートルぐらいの灌木が歩道に沿って続いていました。人混みでごった返しの中を歩いていた時、ふとその灌木の上、車道に近い方に、めがねをかけた30代くらいの背広姿の男性が書類鞄をかかえたまま、仰向けにひっくり返っていました。

私は「え?!寝てるの、ひっくり返ったの?生きてるよね?」とあまりにも嘘のような状況に、思わず周囲の人を見回すのですが、誰一人注意を向けることもなく過ぎ去っていきます。午前11時ぐらいです。人が目の前で倒れているのに、気づかない?!

あまりにも現実離れした感覚がして、声をかけようかとすごく迷いながらも、そのまま人混みの勢いに押されて進んでしまい、謎は残ったままです。大衆意識の中に流されて過ぎ去った自分を反省しました。

最近、道を歩いていて向こうから人が来るのですが、一方的にこちらがよけないとぶつかりそうになることが増えています。こちらが考え事に気を取られていて1メートルくらいのところでびっくりしてよけたこともありますが、相手の方はスマホを見ながら何知らぬ顔で通り過ぎていきました。

少し前でしたら、互いに同じ方向によけ合ったりして、苦笑いなどしたものですが、そんなことも少なくなりました。

これらエピソードはいずれもケータイの普及、特にスマホが普及してからのことです。人がスマホの世界にはまれば、現実に対する意識が薄くなります。

そうなれば、現実に起きていることに対して興味が薄れ、リアクションもなくなっていきます。隣人がどうなっても関係ない、他人に対する関心がなくなり冷たい社会になろうとしています。

防衛費、オリンピックに莫大なお金を投じ、仮設住宅を追われようとしている被災者の方々がいます。財政赤字は現政権になってますます膨らんでいきます。誰が払うのでしょう?国民です。これからの時代を担う、子供、若い人たちです。

先日、OECDがきて日本は消費税を20%から25%へあげなくてはいけないと勧告していきました。誰がこれだけ日本を世界有数の赤字大国にしたのでしょう?政治です。

国民が周りに無関心になればなるほど、自分たちに回ってくるつけが大きくなります。これだけ所得格差が広がり、低所得層が増えている中、消費税が20%なったら、皆生きていけるのでしょうか。

スマホに気を奪われている時ではないように思いますがいかがでしょうか。