社会

求められる神社改革

先日久しぶりに神社に行って、恋みくじとか色々なものを売っていて驚いたという方がいらっしゃいました。確かに最近は、ストラップとか一見普通のお土産と変わらないようなものが神社の窓口に並んでいます。

今まで神社仏閣は日本人の精神文化の中枢をなすものとして重要な役割を果たしてきましたが、ここ数十年、日本人の心がそういった世界から急速に離れてきたように感じます。

「イライラ日本」という番組の中で、日本人のイライラがいたるところで蔓延するようになったが、「その原因はスマホにある」とズバリ指摘なさった方がいらっしゃいました。

今やお寺が鳴らす鐘の音にもうるさいと苦情が寄せられているそうです。私には大変衝撃的な現実であり、日本人が人として急速に後退しているという光の存在の言葉を痛く実感した瞬間でした。

鐘はなぜ鳴らすのでしょうか?鐘は、その振動、波動を通して、神々の住まわれる次元空間につながるポータルを開き、地域一帯の空間を清める働きがあります。僧侶は鐘をつきながら、地域の人々の幸福、安全、平和を願ったりします。

お正月に初詣の参拝客に混じり、近くの神社を散歩をしていた時のことです。ふとお賽銭箱の方に目が行きましたが、一円玉も目立ち、一年の祈りをするのに一円か、これでは神社は維持できないよなぁという思いになりました。

 

神社の多くは庭があります。街中の緑も神社仏閣のおかげでかろうじて守られていると状態です。

建造物と共に、庭や自然を守るには大変な維持費がかかります。前述の恋みくじやストラップなど、神社もビジネスしないと経営が成り立たない理由がよく分かります。

でも、神社仏閣の役割はそこにあるのではありません。本来は御神仏と人々の媒体として、人々を教え導き、スピリットを持った人として人々の霊的進化の旅を助けることにあります。

最近、自らの学びに基づいて講話をしたり、仏様の教えを説いたりしているところも少しずつ増えてきているようです。

そのように神社仏閣も、物でビジネスをするのではなく、唯物社会では学ぶことができないものを提供することにより、人々を助けていく仕事に励んでいけば、時間はかかるかもしれなけど、少しずつ栄えてくるのではと思ったりします。

まして今はフォトンエネルギーの時代、フォトンの目醒めのエネルギーを自他のために生かして活動する一大チャンスの時です。

神社仏閣が本来の使命に帰依し、神聖なパワーを回復するようになれば、人々も自然に引き寄せられるようになり、お賽銭も一円ではなくなるのではと思ったりします。

日本のご神仏が人々のために働ける社会になってほしい、そのために今一度、神社仏閣も立ち上がってほしいと願っています。