日常

何でもあり?の時代 ― 意識の不思議

トランプ政権が誕生してから一年半が立とうとしています。あれからアメリカはあれよ、あれよという間に、どんどん変化してきました。沢山の大統領令が出されました。彼は何をしたのでしょうか。

オバマケア撤廃から始まり、TPPからの離脱、中東や北アフリカ7カ国からの人々の受け入れ停止、地球温暖化対策に関する「パリ協定」からの離脱、国連人権理事会からの脱退、イラクとの核合意からの離脱、最近では北朝鮮との合意文書の署名、不法移民に対するゼロ寛容対策など、世界の中のアメリカではなく、アメリカのためのアメリカへと大きく舵を切っています。

今の民主主義って怪物のようだなぁと思います。民主主義により選ばれたとされる一人の人間が行う行為の裏で、どれだけの罪もない人々が命を落とし、不幸になった人々、家族、子供がいるのでしょうか。地球にどれだけの憎しみや悲しみが生まれたのでしょうか。政治レベルで物事が進む時、どんなに沢山の命が失われても、どんなに沢山の人が苦しむことになっても、どんなに国民のお金が無駄遣いされても、スルーされます。不思議な常識です。

一方、人の意識も不思議なもので、当初あれだけトランプ政権のすることに反発していた人々の勢いが、静かになりつつあるように思えるのです。これだけ理不尽な命令を連発し続けきたのですから、さぞかし、正義感の強いはずのアメリカ人は、もっと目覚めて立ち上がるのではと思っていたのですが、こういう生き方、進み方もありかと思う人々も増えているように感じるのです。

私もはじめのうちは、とんでもない大人の顔をした「やんちゃ坊主」が出てきたものだ、果たしてどこまで彼の常識が通用するのだろうと傍観していました。

しかし、世の中には、常に賛否両論2通りの見方があります。今までのやり方では何も変わらない。地球温暖化問題一つとっても、地球を汚す最悪のものは核である、だからCO2を中心とした温暖化対策は意味がない、だから、アメリカはパリ協定から離脱する、と屁理屈を言われれば、それも一理ありのように思う人もいるのでしょう。

そのようなアメリカを前にして、日本はアメリカの顔色を伺いながらついていくだけなのかとため息が出ます。

最近、北朝鮮とアメリカの間で包括的合意を見たという事で、アメリカは極東における「警察」の役割を返上しようとしています。アメリカとてお金が余っているわけではありません。北朝鮮から自国にミサイルさえ飛んでこなければ良いわけで、その分、資金や軍隊を懸案の中東につぎ込むこともできるようになるのかもしれません。

でも文字通り解釈すれば、北朝鮮に核の脅威がなくなり平和になれば日本にとっても大変良いことになります。アメリカに巨額な血税を払ってミサイルや軍用機を購入し続ける口実も必要もなくなり、その一部を使い、北朝鮮の平和と繁栄にために貢献することができるようになります。

でもことお金に関しては、私のような素人が思うように単純に進まないようです。私たちに決して知らされることがない色々なしがらみがあるのでしょう。でもそのしがらみは、国民に莫大な借金や増税となってはねかえってきます。

年金が削られ、物価が上がり、保険料や消費税が上がり、生活がますます苦しくなっても我慢する。仕方ない、それしか方法がないのだと信じようとします。お金が本当に必要としているところに行かない、これが庶民の常識になっています。でも、これは民主主義が破たんしていることを意味しているのではないでしょうか。

2018年に入り、世界でも日本でも地震活動、火山活動が活性化しています。つい最近、大阪で震度6度弱、京都で震度4度、その前後で長野の震度5度、関東地方の震度4、広島の震度4度などと、続いています。

南海トラフもカウントダウンに入りつつあるようです。被害予想は何兆円と出ています。

今は国と地方をあげて、国民全員のために、予測される被害を最小限にくい止めるべく、ありとあらゆる対策を講じる時ではないでしょうか。一機軍用機を買うお金でどれだけ沢山のことができるのでしょう?

福島原発事故以降、原発の安全神話が揺らぎ、今再びその神話が根付こうとしています。のどもと過ぎれば熱さを忘れると言いますが、あまりにも早すぎるように思います。福島は揺れ続けています。

日本中、揺れることに慣れてしまっているように感じます。福島だけではありません。日本全国、揺れているところの近くに原子炉があります。揺れてもマスコミで取り上げる人もほとんどありません。慣れとは恐ろしいものです。敢えてタブー視しているのかもしれません。

最近、何でもありという風潮が、世界でも日本でも幅広く社会や人の意識に根付いてきているように思います。

地球は変化のプロセスを進んでいます。それこそこれから来ようとしているプロセスは何があってもおかしくありません。しかし、今の社会の風潮、何でもあり(=何だっていいわサ)の意識で、それを乗り越えて行けるのでしょうか。来てから、「体験したことがないから分からなかった」では遅いのです。