婚活、就活から始まって、ついに終活という言葉まで誕生しました。といってもその言葉ももう新しいものではありません。あまり関心がなかったのですが、聞くところによると、
1 子孫の間でトラブルがないように生前分与を含む、財産分けをきちんとしておく。
2 家族に面倒をかけないように、葬儀にかかる費用やお墓などを準備し、葬儀内容や後の供養の仕方などを決めておく。
3 断捨離をし、近辺整理をする etc. だそうです。
自分は終活に専念しているという人に会いました。50代の方です。びっくりしました。私からすれば、50代はこれから人生の醍醐味に向かう時、果物で言えば、これから熟して最もおいしくなろうとする時だと思います。まだ、熟していないうちに、熟しすぎて落ちていく先のことを考える必要はないのにと思いました。
ま、今は何が起こっても不思議でない時です。ですから、いつ逝っても良い心の支度は、物質界への執着を断ち切るために大切だとは思います。でもこのような終活のあり方に、何か味気なさを感じるのです。
人は誰でも学びのために生まれて来ると言います。人生の良し悪しは、物の世界で決まるものではありません。
肉体を離れれば皆、魂/スピリットになります。その時の霊的波動/レベルによりそれから先の行き先が決まると言います。誰でも明るく良い波動の世界へ行きたいと願うはずです。誕生する前の世界より、よりレベルアップした、より幸せな世界へ行きたいと思うでしょう。
自分が後にする世界を考えるのも大切かもしれませんが、自分の魂/スピリットの行き先が自分にとってより良いところであるように、許されている時間、人生をどのように生きるのか、こちらの方にもっと焦点を置いても良いように感じます。
人生には霊的人生、物質人生があります。霊的人生とは物の世界を生きながら得られる学びや気づきを通して、どこまで自分の中身を変えることができるのか、そこにフォーカスすることにより意味を持つようになります。
小さい時、お正月に人生ゲームをして家族と遊んだことを覚えています。今この年になって、人生は本当にゲームだなぁと思います。日常のいたるところで選択があります。その小さな選択、決意の一つ一つが人生を変えていきます。
物の世界は形です。物の世界では形も大切です。しかし、終活は自分のスピリットの行き先とも関わっています。少なくとも、人生のゲームオーバーになった時、自分のできることはしたと思える人生でありたいと思います。