日常

終活とお墓

「終活」という言葉を知ってからしばらく経ちますが、「人生、ままよ」としか考えていない私にとって、知り合いも50代の若さで終活中と聞きびっくりしました。一見明るく聞こえない言葉、消極的に聞こえるこの言葉も、この世に執着や未練を残さないためのレッスンと考えれば、それもありかとも思ったりします。

最近、お墓のあり方も急に変化してきているように思います。昔は当たり前であった墓参りも当たり前でなくなり、無縁仏のようになっているお墓も増えていると聞きます。少子化の時代、子供がなければ自然とそうなっていくのでしょうが、子供や孫がいてもお墓を訪れることがなくなってきているようです。

お墓に供える生花も、枯れない方が良いということで造花を使う方もいらっしゃるようです。お墓ばかりではありません。家系に仏壇がない家、あっても閉めたまま埃をかぶったままの家も少なくないようです。

お墓も仏壇も子孫と先祖のコミュニケーションの場です。子孫は日々の挨拶、祈り、食事、生花、お香などを通して、先祖にエネルギーや感謝の想いといったものを先祖に送ります。代わりに先祖は子孫を見守り、力のある先祖であれば、緊急事態の時、子孫を救ったりすることさえあります。

そのような先祖と子孫との関係は、親や祖父母を通して子供に伝えられ守られてきたものです。しかし、最近になってこの風習が危機を迎えているようです。

今の若い人々、子供たちにお墓や仏壇の目に見えない意味を教える人がいなくなってきたからです。最近よく耳にするのが「子供に迷惑をかけたくないから」と言って散骨を望んだり、自分の死後の骨の管理を寺に一任するため、お墓のマンションに籍を移す人も増えているようです。

しかし、子供は先祖なくして生まれてきたのではありません。時代は変われど子供と先祖の関係は続きます。これでは先祖はどのような想いでいるか、先祖のことを考えたことはあるのでしょうか。

先祖には、今まで培われてきた子孫と先祖の繋がりの意識が存在しています。子孫を見守るという役割を持った霊的に高い先祖も存在します。その霊的繋がりを無視して生きている子孫をどんな想いで見ているのでしょうか。

迷惑をかけるからではなく、親は先祖と子供の関係をしっかりと伝える霊的義務があります。先祖との繋がりを唯物的に考えれば、迷惑をかけるという不自然な遠慮に繋がります。子供は一人で育ったのではありません。好む好まざるに関わらず、先祖からのDNAを受け継ぎ、波動で繋がっています。

自分が肉体を脱ぎアストラル界にシフトした時、先祖が喜んで迎えてくれるように、先祖 ― 自分 ― 子孫の霊的関係を正していくお勤めを終活の中に含めることこそ、自分が幸せになれる一番のポイントではないかと思います。