日常

人を変えるカードシステム

今年、2018年に入り、地球も自然も急速に変化してきているのを誰もが感じていると思います。私たちの住んでいる社会もそうです。私たちのようにお客様の体に触れる仕事をさせて頂いていると、人の意識、心、考え方もどんどん変化しているのが分かるのです。

2020年、オリンピックに向けて、日本だけでなく、世界も大きく動こうとしています。前回のブログのテーマであった通信施設の5G化に加え、カード社会、お金のない世界へと移行させようとしています。全てAIと関係するものです。

韓国、中国の大都市、北欧ではお金がどんどん姿を消し、カード決済に切り替えられているようですが、それはどんな社会に繋がるか、想像したことがあるでしょうか。

私はレジでする人との一瞬の交流が好きです。カフェでもコンビニでも笑顔で応対されるとまた来たくなるものです。反対に冷たい対応されると、よほどのことがない限り、もう来ないぞと思ったりします。

お金は人類の歴史です。お金はものを買うためのエネルギーです。お金は肉体をもって物質社会で生きていくためになくてはならないものとして、その歴史を刻んできました。

お金により、人類は嬉しい、楽しい、幸せ、悔しい、うらやましい、待ち遠しい、苦しい、後悔、懺悔など人の喜怒哀楽に繋がる様々な感情を生み出してきました。良い悪いもお金を使う人の心次第と言われるように、それによりカルマも美徳を積んできました。

自分でお金を手にすることにより、お金のエネルギーを実感します。

今日は無駄使いしたなぁと反省したり、お金一枚でこれだけの食糧に変わるんだと感謝したり、手にしたお賽銭を見てこれで神様にこのような願いするのは申し訳ないかもと思ったり、しまった!あっちの方が10円安く買えたのに!などと、いつもお金は自分の心の微妙な動き、感情、エモーションに寄り添ってきたように思います。

それがカードになると、人の思いは淡くなります。いくら使ったか、何に使ったのか、どれだけ使ったのか、本当に必要な使い方したのか無駄遣いだったのか等、今までお金を見て、触れて生み出されてきた人間としての心の動きが消えていくように思います。

一昔前、給料が手渡しから振り込みに変わりました。一家の働き手が給料袋を家の大蔵大臣に手渡した時は、きっと家族にもっと感謝されたことでしょう。現金を手にしたお父さんが家族にみやげを買って帰ったのも、もう昔の光景です。

今は振り込みなので銀行にお金が定期的に入るのは当たり前になり、当たり前になれば、感謝がなくなります。その頃から、一家の大黒柱としての風格も立場も急速に薄れてきたのではと思います。

人は触れたり、見たり、重さを感じたり、五感に触れることにより実感し、感情を豊かにしていくものです。

カード社会の行き着く先、それが急速に発達した隣国や韓国、とても人が豊かになっているように思いません。

SNSを通して巨万の富を他人に見せびらかす中国、日本よりも自殺の増えている韓国社会、日本もそのような社会を真似したいのでしょうか?

国は福祉にお金が必要だからと言って消費税増税を言い出したように記憶しています。その傍らクレジット決済する人は5%還元といっています。小さなお店、カードを使用しない、どちらかと言えば慎ましい生活をしている世帯などには負担が増すだけで、何の得にもならない政策です。全て日本をカード化に向けての動きです。

カード社会は管理社会です。カードは仮想世界です。お金に対する感覚を鈍化し、人の心を貧しくし、格差を広げるシステムです。私たち一人一人がどんな社会を求めているのか、私たち一人一人が自分の望む社会に向けて行動していかなければ、取り返しのない時代がやってくるように感じます。

今日、家庭菜園で有機で作った野菜をご近所の路上で100円で買いました。ご主人が心を込めて育てているので、とてもおいしい野菜です。

文具店で孫たちが好きな絵がついているお年玉袋を探しているおじいさんを見かけました。子供たちがわくわくして待っているお年玉の季節がもうすぐやって来ようとしています。